2012年9月25日火曜日

秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみて

ひたぶるにうら悲し…。

急に寒い。
大根の煮た奴が食べたい。

最近読書というものを自らすすんですることはほぼ無くなったのですが、
「時間をつぶす」ということに一番長けているのはやはり読書だと私は思うわけで、
そういうときのためにエッセイ集など、途中で読むのを切り上げてもあまり支障のないものを持ち歩いたりしているのです。

で、久しぶりに三浦しをんさんの「しをんのしおり」を読んだわけ。
三浦しをんさんといえばB-Tがお好きなことで有名ですね。バンギャル的にはね。
わたしはごく最近B-Tを生で見てハマったクチなのですが、
事前に彼女のエッセイにときたま出てくるあっちゃんを知っていたために、
あの機械っぽいMCにそれほど衝撃を受けずに済んだのでした。
ありがとう三浦先生。

多分これをはじめて読んだのって、中三〜高一の時くらいだと思うのですけど。
今読むと、結構心にぐさぐさささるものがある。
「死国」に住むYちゃん(いわゆる、相方というものだろう)がB-Tの年末の武道館を見に行こうと電話をかけてくる話(二度目の青い果実/おおざっぱにいうとこうなのだけど、焦点はここではないのだが、便宜上。)があるのだけど、そこに、
「嗚呼、バクチク。これぞ正真正銘の思春期から引きずる私の恥部」
と書いてあるのだ。
三浦先生がこれ書いてるのって、24~5とか、それくらいの時だと思うのだけど。
なんだろう、私もそのくらいになってもなんだかんだバンギャルをつづけてて、おそらく、ああ、恥ずかしいだのなんだのっていいながら、あっちゃんを見に行っているのだろうなぁと思うと恐ろしくなるのです。
年齢がどうとかっていうはなしではないのだけども。
なんというかなぁ。
好きな物がむしゃらに追いかける事、言い換えるならば、夢みがちであることを多少なりとも恥ずかしいと感じつつ、でも追いかけずにはいられない、
ということが苦行に思えてならないのだよ…。
かといって、良い年して、なーんの疑問も持たず、バンド「だけ」をおいかけている事のほうがもっと恐ろしいと思うんですけどね。私は。
大人になるというのは恐ろしいことだ。

夢みがち、っていうのは、バンギャルというか、バンギャルにならざるを得なかった人間の共通項だと思うんだよね。
しかし、それを夢みがちという一言で切り捨てるのもどうかともおもうのわけで。
私が桜井青さんをすきなのは、そういう、多くの人が「青春が死んで大人に落ちて」いくに従って切り捨てていく、置き去りにしていくものを持ち続けてるからなんですけど。
なんというか、やっぱりバンドマンとか芸術家はそうでなきゃいけないよー。
すっごく暴力的にいうと、一生中二病というか。
僕ら人間は中二病を否定するけど、そこにこそ人間の本質があると私は思うので。
自分のアイデンティティの問題とか、そういったことね。
根底にあるそういう気持ちを肯定してくれるような、普遍的な中二というか、そういう大人が私たちには必要なわけですよ。
たぶん。そういう人が心を打つしえぐるんだ。

あと、三浦先生は最近は(というほど、最近でもないのだけど)文楽にご執心のようで、
エッセイに全くB-Tが登場しません。
三浦先生のライブレポが読みたいです。

ところで、カントリーマアムのアイスは、コンビニには売ってないんですかね?
3軒ほどまわったのですが、見つからず。
どこにあるのだ…。

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